【読書感想】猫に学ぶ(ジョン・グレイ著)

Book

今回紹介する本:猫に学ぶ

  • 著者   ジョン・グレイ
  • 出版元  みすず書房
  • 出版時期 2021/11
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¥3,300 (2024/12/29 09:44:33時点 楽天市場調べ-詳細)

こんな人におすすめ

気が付いたらこんな歳だけど、生き甲斐がない…
死ぬ間際に何もない空虚な人生だったと後悔するのが怖い…。

なぜ猫はあんなに幸せそうにダラダラと生きていられるの⁉

この本の結論

  • この本は、人間が抱える悩みを軽くする方法を猫の生き様から学ぶための書籍である。
  • 人間は、自分が創り上げた物語の自分が考え出した登場人物になろうと努力し続けるが、自分の物語は度々壊れてしまい、その度にその場に立ち往生してしまう。
  • 猫のように生きるとは「自分が生きている人生以上に何も求めないということ」である。
  • もしこの生き方が耐えられなければ、日常生活における恋愛や金銭、野心の追求等に没頭すれば良い。人生自体が楽しくないならば、気まぐれや幻想に満足を見出せば良い。そうして気持ちが鎮まるのを待てば良い。
らっしー
らっしー

人生は長くないのだから、未来に怯えて過ごすんじゃなくて、
気晴らししながら、楽しんで今を大切に過ごそう
!!

本の要約

第1章 猫と哲学

猫は哲学を必要としない。本性(自然)に従い、その本性が自分たちに与えてくれた生活に満足している。猫の世界で幸福とは、彼らの幸福を現実に脅かすものが取り除かれた時に、自動的に戻る状態のことだ。

猫は自分の本性に従って生きるが、人間はそれを抑圧して生きる。

人間にとっての哲学

宗教も哲学も人間であることに伴う、いつまでも消えない不安をなんとか取り去ろうとするが、

❓ どうして自意識に最高の価値を見出さなくてはならないのか?

💡 全ての流派の全ての哲学は、ある一つのことに関しては一致している。至高の神は精神と肉体の平安の中にあるということだ。しかし我々はそれをどこに見出せば良いのか?

モンテーニュ

哲学すれば人間の不安が無くなるのではなく、むしろ哲学は人間を哲学から癒すのに役立つ。とモンテーニュは考えた。

多くの人間にとって文明とは、恐怖に支配され、性的には飢えていて、怒りを抱えているが、それを表には出さない、監禁状態である。そんな人間にとって、猫は憎悪の対象であり、それは羨望の裏返しなのかもしれない。

第2章 猫はどうして必死に幸福を追求しないのか

人間以外の動物は、自分が置かれている状況から気を逸らす必要がない。

💡 猫は自分しかいなくても幸福だが、人間は自分から逃げ出すことで幸福になろうとする

哲学や精神療法は、他の人間との共生にともなう不快感を軽減する術を教えてくれるが、人間であることによる不安そのものを取り除くことはない。

❓ 人間は自分自身の思索から解き放たれ、必死に幸福を追求しても必ず失敗するのは何故か?

受け入れられなかったエピクロス派とストア派

 💡 幸福は、欲望を抑制することで手に入る
  • パンとチーズとオリーブしか食べない
  • 恋愛に結びつくセックスを否定
  • 野心をもったり、政治に関与しない

エピクロス哲学はどんな境遇においても楽しめるようなごく僅かな楽しみだけが残るところまで、人生の楽しみを削ってしまうことで、平静に到達しようとする試みである。これが推奨する生き方は精神的に貧弱であり、受け入れられることはなかった。

ストア派では、ある出来事に絶望を感じるのは、それが宇宙の秩序の一部だとまだ理解していないから。平静に至りたいならこの秩序と同化することだ。これは、人生に対して無関心の姿勢を取ることを意味する。恐らくこれで平静に至っても、それはつまらない生き方になるだろう。平安なだけという状態は人間がそれほど長く保っていられる状態ではない。

パスカルの気晴らし論

 💡 古代哲学の欠陥は、人間の理性によって人生を秩序立てられると夢想していること

生き方や感情をコントロールすることなんてできない。

 💡 気晴らし。人間は死も惨めさも無知も免れないから、それらを考えないことで、幸福になろうとした

人間の不幸は、ただひとえに、部屋の中でおとなしくしていられないことが原因だ。

また、か弱く死すべき運命を背負っていることこそ、生まれながらの不幸だ。これについてじっくり考えることは何によっても

それゆえ、深く考えることを辞めて、気を紛らせる何かに没頭するとか、自分忙しくしてくれる何か新しくて心地よい情熱、要するに気晴らしに身を委ねることこそ、唯一の良いことだ。

パスカル

想像力は、理性を信じさせ、疑わせ、否定させる。また、感覚を停止させたり、掻き立てたりする。人間は想像力を使って気分転換する。

辛い思いに囚われたら、それを抑え込むより早く交換してしまう。場所も、することも、仲間も変えて、他の用事や考えの群れの中に逃げ込むのだ。

モンテーニュ

小説家サミュエル・ジョンソンは、人生における最良の道を模索すれば幸福を達成できるという思い込みを馬鹿にしていた。

人生は長くないのだから、いかに人生を送るかという空疎な思案に、あまり多くの時間を費やしてはいけない。

どんなに慎重に考え抜いた人でも、結局は我が身を偶然に委ねるのだ。

どんな人の頭の中でも、取り止めもない考えが傍若無人にふるまい、正気の時の可能性の限度を超えた希望や恐怖を抱かせるのです。

サミュエル・ジョンソン

第3章 猫の道徳と倫理

道徳と本性

猫は道徳観念がないと言われる。

良い人生は、生きる価値があるというだけでなく、道徳的でなければならない。と考える人は多い。だが、実際には様々な道徳が存在し、互いに矛盾していたりする。

正義は、魅力と同じように、流行に左右される

パスカル

道徳について語る時、人は自分が何のことを話しているのか、わかっていない。と同時に彼らは自分の言うことに揺るぎない自信を持っている。

本性に従って生きる2種類の生物のどちらの思想も「道徳」を前面には出さない。

 💡 良き人生とは、与えられた本性と共に自力で生きること

人間の成功は多種多様で、いかなる価値のスケールによってもランク付けできない。

スピノザのコナトゥス
 💡 コナトゥスとは、世界における自らの活動を保ち、拡張しようとする生き物の傾向のこと

自己を保存しようとする内的な力が、個人を個人たらしめている。

 💡 コナトゥスとは、自分の活動において人類全般の理想を実現したり、良い見本となるのではなく、自分自身という個人を活動的な存在として、その活動において可能な限り独立した存在として保存することである。

スピノザは、この努力を後押しするものこそ「善」であり、邪魔するものを「悪」と考えた。

個人の徳とは、世界における彼の活動を持続させ拡大させることであるが、人類の大多数は自分自身、世界における自分の位置を理解していないために、自分の生き方に迷っている。

生き物はそれが現在そうであるような唯一無二の生命体として自分の存在を主張している

スピノザ
 💡 よく生きることは、出来るだけ意識的になることではない。いかなる生物にとっても良き生とは、それ自身でいることである。
自己イメージと無我

自分でないものになることを目指さず、自分のままであることを目指す。そのために必要なのは、現実の自我が何か特別なことをするのではなく、むしろ自我を消し去ることである。

道教

自己とは社会と自身の記憶が創り上げたものに過ぎない。人間は幼少期に自己イメージを形成し、その自己イメージを保存・強化することで幸福を探究する。しかし、自己イメージはあくまで現実ではないから、それを追いかけることで、達成感ではなく自己への不満がもたらされることもある。

猫は無私の利己主義

猫はそのような幻想を抱いて生きない。

💡 猫の倫理はいわば無私の利己主義である。
💡 猫は利己的であることで生きるのではなく、無私的に自分自身であることで生きる。

本性の実現こそ良き生活

💡 いかなる生き物にとっても、良き生活は、その生き物の本性を実現するには何が必要かに左右される。
 💡 人間は、社会の慣習によって形作られる第二の本性を持っている点で特異である。

社会の慣習に従って第一の本性に取り合わずに酷い人生を送った人間だっている。猫にはありえない。

第4章 人間の愛vs猫の愛

猫は、孤独や退屈や絶望から気を紛らわすために愛するのではない。猫は欲求に従って愛し、一緒にいることを楽しむのである。

社交界の人々にとって「気晴らし」とは、自分の欲求を満足させ、退屈を紛らすという唯一の目的のために他人を利用する技術である。

マルセル・プルースト

愛は、他者について、あるいは自分について知ることや理解することを妨害し、そのおかげで人間は一人ぼっちでいることから逃れられる。

どんなに激しい嫉妬や失望でも、虚しさからの一時的な休止を与えてくれる。自分の老いていく体や死への道について、考えることを忘れることができる。

第5章 時間、死、猫の魂

時とともに死に近づいているという無力感から身を守るために、人間は自我を作り出した。

アーネスト・ベッカー

人類の多数にとって個人でいることは重荷である。ある観念に自分を同一化すれば、死に対して守られていると感じることができる。

永遠とは、果てしなく時間が続くことではなく、無時間のことであると理解するなら、現在の中で生きている者は、永遠に生きている。

ヴィトゲンシュタイン

猫は自分が今生きている生しか知らず、近くまできた時にしか死のことを考えない。

第6章 猫と人生の意味

人間は、自分が創り上げた物語に支配され、一生、自分が考え出した登場人物になろうと努力し続ける。

 💡 人間の人生は自分のものでなく、自分の想像の中で生きている登場人物のものだ。

そんな生き方をしていては、自分の物語が壊れるたびにその場に立ち往生してしまう。そんなとき、人間は自分の人生を悲劇に仕立てて、取り返しのつかない喪失に対処しようとする。そうして悲しみに囚われる。

猫の本性、人間の本性

我々の誰もが良き人生を選ぶのではなく発見するのだ。

 💡 良き人生とは自分が望む人生のことではなく、自分が満たされるような人生のことだ。

人間は、人間であることに伴う重荷を軽くするにはどうしたら良いかを、猫から学ぶことができる。捨てられる荷物のひとつは、完璧な人生はありうるという思い込みだ。

 💡 良き人生とは、これまでに送ったかもしれない、或いはこれから送るかもしれない人生のことではなく、今すでに手にしている人生のことだ

いかに良く生きるかについて、猫がくれる10のヒント

人間に対して理性的になれと説教しないこと

人間は自分の信じたいことを補強するために理性を用いるが、自分の信じていることが正しいか発見できることはまずない。

時間が足りないと嘆くのは馬鹿げている

これは、時間の過ごし方を知らないということだ。目的に役立つこと、あるいは、それ自体が面白いことをしなさい。そうすれば、時間はたっぷりあるはずだ。

苦しみに意味を見出すのをやめよ

不幸な時に、自分の惨めさに慰めを求めるかもしれないが、それを人生の意味としてしまう恐れがある。

他人を愛さなくてはと感じるよりも、無関心でいる方がいい

普遍的な愛ほど危険な理想はあまりない。

幸福を追求することを忘れれば、幸福が見つかるかもしれない

何が自分を幸福にしてくれるか、分かっていないのだから、追いかければ幸福が見つかるわけではない。

1番興味のあることをやれば、幸福が何か知らなくても幸福になれるだろう。

人生は物語ではない

物語は最後まで書きたくなってしまう。だが、人間は自分の人生がどんなふうに終わるのかを知らない。何が起こるかわからない。台本は捨ててしまえ。

書かれない人生の方が、思いつくどんな物語よりも遥かに生きる価値がある。

闇を恐れるな。大事なものの多くは夜に見つかる

その瞬間にどう感じるかに基づいて行動することは、考えずに受け入れた使い古しの哲学に従うようなものだ。時には、山の中にちらりと見えた暗示に従った方がいい。

眠る喜びのために眠れ

目が覚めた時にもっと働けるように眠るというのは惨めな生き方だ。楽しみのために眠れ。

幸福にしてあげると言ってくる人には気をつけろ

彼らにはあなたの苦しみが必要なのだ。あなたのために生きてからといってくる人を信用するな。

猫のように生きる術を学ばなかったら、残念がらずに気晴らしという人間的な世界に戻れ
 💡 猫のように生きるとは、自分が生きている人生以上に何も求めないということ

もしも、この生き方に耐えられなければ、日常生活に没頭すれば良い。恋愛がもたらす興奮と失望、金銭や野心の追求などが、時期に空虚感を吹き飛ばしてくれるだろう。人生そのものが楽しめなかったら、気まぐれや幻想に満足を見出しなさい。それが鎮まるのを待ちなさい。

猫が教えてくれるのは、意味を探し求めることは幸福の探究に似た、一つの気晴らしに過ぎないということだ。

人生の意味とは手触りであり、匂いだ。それはたまたまやってきて、気づかないうちに消えてしまう。

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